韻踏みながら意味の通る詞を作る人ほんとにすごい。
やりたくなったから書いてみた(はい?)
イメージする自分、遺命とは程遠い気分
できないと謙遜する身分
言い分はそれだけか?
ここで限界がきた。
自分の名前が、一応伏せるけどなんか、「こうしなさい!」みたいな響きなの
皮肉で「そうはしないぜ!」という生き方をしていたらかっこよかったなとおもって、調べて出てきたのが「遺命」←かっこいいじゃん。これからの人生のテーマにしようかな。(アラサーでダサい決意すんな)
最近好きな曲のワンフレーズがすごい好きなの。
韻の踏み方と、言葉そのものが。
「焦燥抱いて競争?よしましょうさようなら」
なんでこんなフレーズ思いつくんだろう凄すぎる
なんか、ずっと音楽と生きてきたなぁと思うわけ。
小さい頃、アニメとかより音楽番組の録画ばっかり見てたし、夢は「歌手」になることだった。結構長い間、中学生くらいまでそう思ってた。
いや、今でも、なれるならなりたい。だから未練でこんなブログを書いている気がする。
小学校の頃は合唱団に入った。中高は吹奏楽をしてた。
今思うと、ステージに立って音楽をできる機会というのは本当に有り難い機会だったように思う。自分が音楽をやれているという安心感があって。
大学に入ってアカサーに入りたかったんだけど、受験失敗して、あ〜自分はもうステージには立てないんだ。って自覚した、高校の最後の春休みのアカサーのライブ。あれ、結構辛かったな。今でもたまに思い出す。
小学生の頃よく、ポエム書いてたな〜
好きなフレーズに感銘を受けて、自分も詞を書いてた
黒歴史に近いけど、今も結局、やってることは変わらないわけで。。。
なんでやらなかったんだろう。って思うことはたくさんある。
じゃあ今やれば。今がこの先の人生でいちばん若いんだからという説も、重々承知している。
でも、今更やれない。結局「遺命」とは程遠いんだよ。自分は。
こう行けと言われたら、そう行くんだよ。自分を甘やかして生きてきたし。
ただ、自分は何者にもなれなかったんだな。という事実だけが、ずっと重くのしかかっていて。
もっと音楽を好きになりたかったし、自分も音楽に愛されたかったなと、いろんなコンテンツを見て、思う日々。
フィギュアの時もだけど、いい音楽を真に受けて、凹むのをやめたい。
また、ポエムを書きにきます。見返して恥をかきたいと思います。