語彙力を鍛えたい

伝えたいのに伝わらない気持ちのもどかしさ、行き場のない感情を出来るだけ言葉にして反芻して吸収したり昇華したりするための練習

人生って難解だけど頑張りたい自分もちゃんといるって話

 

頭の中で考えてることが無限にあってまとまらない。とりあえず箇条書きでぶん殴り書きして一旦スッキリしたい

 

 

1.  生きる理由のようなもの

最後になるであろうすずとじの舞台挨拶に行って、新海さんが共有してくれた手紙について、自分が感じたことを言語化しておきたい。

その手紙の差出人は、地震の被害によって目の前で大事な人を亡くした方だった。被災者ではない私が軽口を叩いてこんなことを言うのも申し訳ないけれど、手紙の中に、「彼らが死んで私が生きている意味はなんだろう」と言う言葉があって、それに共感する気持ちがブワッと出て、思わず号泣してしまった。

 

芸能人の訃報、事故や事件のニュースを見て、私が生き延びてしまっている理由について、頻繁に考える。なぜ「私」ではなく「その人」の命がなくなる必要があったのか。なぜ私は今も生きているのか。ずっと考えている。自分が生きている理由を考える時間というのは何年経っても不毛であって、辞めたいのだけれど、辞められなくて。

 

もちろん答えは出ないし、心底死にたいわけでもないし、なんとかその場しのぎの理由を見つけ出して生き延びているのだけれど、それでも、スイッチが入ってしまうと、そういう思考になってしまう。ずっと。

 

すずめの戸締まりは、そういう気持ちを浄化してくれるような作品だった。何を見ても自分に立ち返ってしまって悲しくなってしまう、そんな自分が前向きに思える貴重な作品。

死ぬのが怖くないのか?と聞くようなことをしている草太は、それは「自分も死ぬかもしれない」ことを示唆していて、自分に無関心というか、それこそ、「自分の扱いが雑」という表現もあった。そんな彼が、涙を流して現世に帰ってくるあのシーンで、いつも泣いてしまう。そして彼は言う。「命はかりそめだと知っています。死は常に隣にあるとわかっています。それでも私たちは永らえたい。」何もない自分でも、あの瞬間、生きたいと素直に思えた。生きていて良いのだと。

 

 

今日で13回の鑑賞だったけど、やっぱり終始泣いてしまって、(これまでのいろんな解説を踏まえたりすると、むしろ公開したての頃より泣く場面が増えている気がする)今もなお、これを書きながら泣いている。泣くことと悲しくなることは違う。私はこの映画で「前向き」な自分に初めて出会った。自分に立ち返って悲観的になる私が。それこそが紛れも無い事実だ。「すずめの戸締まり」は、どう考えたって自分の人生のパンチラインだなと思う。これからもコレが、心の支えになる。本当にありがとう。

 

 

2. 地に足をつけて働く

だが情の後、このブログを書き始めた。放送開始の初めの頃、何もない彼らががむしゃらにもがく姿が、私にはしんどくて見れないかも。と思っていた。今となっては、放送終了後に毎回号泣している。曲のせいもある。そして自分に立ち返る。

 

ドラマの内容に浸りながらエンドロール見てると、いつも「こっから」のサビ前の歌詞だけがスッと頭に入ってくる。「これだけじゃやれねぇってわかってる でもこれしかねぇからこれにかかってる」ここでいつも泣いている。

彼ら(山ちゃんと若林さん、すとんず)のかっこよさ、それに相反する、自分の不甲斐なさに泣いている。やっぱり自分には何もない。

仕事を辞めようとしている自分、職務経歴書を書いていて、今の会社で何もしてないなと実感した。転職活動で面接をしながら、「あーこの会社で仕事したくないなぁ」と思った。転職しても長く続かないような予感がした。そんなダメな自分を正当化しようとしてる自分にも腹が立つし。

 

「これしかねぇからこれにかかってる」と思えるものがないのではなく、思いたくないだけなのかもしれない。この仕事の、こういうところが嫌いだから、もうやりたくないと。でも仕事なんて一度選択したらなかなか違う分野には踏み切れないし、そういう、当たり前のことが、私はわかってなかった。それをこんな歳でようやく実感して、辛くなっている。もう、仕事を変えるとしても、さすがに次が最後だと思っている。

 

何かで読んだほくとさんの記事、「辛いことはあるけど、ここで辞めたらこの先どうなるんだろう?って思う。だからまだ辞められない」みたいなことが書いてあって、やっぱり、私には覚悟が足りないと思った。もう、嫌なことがあったらすぐ辞めてる。この先どうなる?とか、後先考えずに、自分の都合が悪くなったら辞めてる。

 

仕事って結局、人付き合いなのかも。と思い始めていて。人と仕事をする。信頼を得る。また仕事をもらう。そんなことの繰り返しなのかも。だから私は仕事がしたくない、というか、同じところに居続けられないのかも。ずっと同じ人に「好かれ続けなければいけない」状況が、しんどい。好かれなくていいやというマインドでのらりくらり生きてきた、それは、自分を正常に保つための防衛だと思っていたけど、人に気を遣えない大人になっているような気がする。

 

実家に戻って、家業の手伝いをしようかとも考えた。でもそれは土地に根付くものだから、より人との関係が濃いものになって、私にはできないかもしれないと勝手に想像する。そんなことをあれこれ考えて、「続ける」「辞める」「地元に帰る」のどれからも、ただただ逃げている。

 

今の仕事、もう少し、自分にもできることがあるのではないか?労働環境の改善、業務改善、この先にあるであろうシステム導入、もう少し続けてみれば、やりたいことがやれるのでは?それを全部投げうって、本当に辞めてしまって、それでいいの?

 

会社に対する愛情はないと思っている。でも「これしかねぇからこれにかかってる」というマインドで仕事してみたい。私だって。まだやれることがあるんじゃないか?

転職しようかと思ったけど、書いていて、転職するの辞めようかな。って気持ちになってきた。給料も上がるんだろうけどね。1年ぽっきりで、ここで辞めるのが悔しいかも。と思えてきた。多分、このドラマと、この曲がなかったら、こんなこと思ってない気がする。きっとこのまま辞めてる。辞めようと思ったこと辞めたの後悔するかもしれないけど、それでもいいや。

「間違ってる未来でも俺には光ってる」だね。この曲本当にいいな。なんか、ずっと泣いてるんだけど。

 

 

 

ちょっとだけすっきりした。やっぱり私にはこのブログが必要だな。