語彙力を鍛えたい

伝えたいのに伝わらない気持ちのもどかしさ、行き場のない感情を出来るだけ言葉にして反芻して吸収したり昇華したりするための練習

自己愛と傲慢の呪縛から解けるか

周りからの評価が気になるからこそ、矢印が外ではなく内に向いている。自分のことが大好きで、殻に籠っている。もはや自己愛が強すぎて、誰にどう思われようと関係ないところまで来ている。

 

そんなことを過去このブログに書き残している自分なので、外から自分に対して矢印が向くと途端に築き上げた城が崩れるというか、どうしていいか分からなくなる。

 

善良と傲慢という小説を読んでいて、私がこれまでに豪語してきた「自己愛」の話が出てきたとき、共感より先に自分の中に土足で入られた気がして、それこそ自分の持っていた自己愛がものすごい嫌悪感を示した。それが驚きだった。その領域まで来てるのかと思って。

恋愛における「傲慢さ」に対して胸が痛いというか、分かるけれど分かりたくない自分がいた。きっと傲慢さも持ち合わせている。

結婚したいわけじゃない自分は「傲慢さ」と「自己肯定感の低さ」の二軸が走っているから余計複雑だ。これも過去に書いた記憶があるけど、そういう呪縛を自分に課してきたのは自分自身だし。

 

端的に言えば、肩書きがつくのが怖い。

〇〇さんの彼女、奥さん、お母さん、みたいな肩書き。そういう目で見られること。

 

本当は人一倍周りの目が気になる。だからこそ気にしないように生きる術を得てきたのだと思うの。それこそが自己愛の正体で、外に興味がなく内にばかり向く人間になった。自分のことは好きだけど、それは外から見た好きじゃないの。他人に振り回されず自分の機嫌をとって平穏に生きてきた自分が好きなの。できたら外見のことは褒めであっても言わないで欲しいし、この顔に似合わない名前も呼ばないで欲しいの。

 

外に興味がなくて自己愛ばかり積もらせてる自分を誰かに「好き」と思われている状況ってなんだ?何が好きなんだ?

一方で、今は好きではないけど好きになるかもしれない相手と付き合う選択肢ってどうやって生まれるんだ?それは妥協?選ばなければ傲慢?

 

 

 

こういう悩みが生まれるから嫌なんだ。でも呪縛を解いて欲しいとも思ってしまう。きっと誰かに必要とされれば、もっと生きやすいのはわかっているから。

 

追伸。いい歳して恋愛相談できる友達がマジでいないな。