語彙力を鍛えたい

伝えたいのに伝わらない気持ちのもどかしさ、行き場のない感情を出来るだけ言葉にして反芻して吸収したり昇華したりするための練習

私は無価値な人生を生きている

時効かと思って開けたらやっぱりまだそれはパンドラの箱だったみたいで全然ダメでボディブローみたくじんわり効いてきて辛くて悲しくなっている。今。

 

私の人生史上最も気が滅入ってしまう映画「12人の死にたい子どもたち」が妹はお気に入りらしく。久しぶりに観たい、観てもいい?と聞かれてしまい(これが苦手という話は妹にはなんどもしている)まあ結末もセリフも知ってるし大丈夫だろうと、承諾したのがすべての始まりで。

 

 

私はやっぱりアンリのあの「無価値な生」というセリフに強く共感してしまう。

自分自身は仕事していたって何も生み出さないし、自分と出会った人たちに何か影響があったとしたら、全部が悪い影響だったんじゃないかと思っている。それ以外は、無影響で無価値。

 

自分の生に価値を見出せないで死ににきたアンリだけが救われないあの結末を、どうしても受け入れられないでいる。アンリというか、自分があのセリフに共鳴してしまったせいでそう思ってしまう。

 

自分自身には価値がないけれど、私を産んで育ててきた両親と両親の思想にはきっと価値があって、私にはわからないけれど、でもそれは否定したくないから、私はかろうじて生きている。

それもまたジレンマではある。自分も添い遂げたい人と出会ったら子どもを持ちたいと思うんだろうか。子どもを産んで育てれば、自分は無価値という思想からも脱却できるんだろうか。でもそれはやっぱり生まれてくる子に対しての身勝手だと思ってしまう。

 

例えば、道で泣いている子どもにすれ違うだけで私は思う。なんで泣くくらい悲しい思いをしながら生きていかないといけないんだろう。あの子は生まれてこなければ今こんなに悲しい思いをしなくても済んだのにな。とか。

 

 

怒り。悲しみ。悔しさ。妬み。嫉み。知らんけど人はそういう感情が自分を成長させてくれたとか綺麗事ばっかりいうけど、成長って何?それって必要?

 

生まれてきたばっかりに私たちは成長を求められる。成長なんかしたくない。生まれてこなかったらしなくてよかったのに。どうせ自分は無価値なんだから。生まれてくるべきではなかったんだから。

 

 

今日はドライブマイカーを見に行ったけど、昨日ネトフリでみた映画のそのセリフを反芻しながら見たせいで集中できなくて、でもテーマ性は似ていて、感情がぐちゃぐちゃになって映画館で泣いた。主人公は、それでも生きていかないといけないと言った。

 

生きている者は死んだ者のことを一生考えて生きないといけないし。そうでなくても辛いこととか悲しいことばかり自分を取り巻いている気がする。それでも生きていかないといけないらしい。やっぱり、最初からなくてよかった。生まれてこなくてよかった。

 

きっと命を繋ぐ気がない私は無価値だろうし。そうでなくても何も生み出さないし。

生まれてきてよかったと思う瞬間もあるけど、それを感じる時は何かに価値を感じている時で、だからこそ「自分」という存在に立ち返ると悲しくなる。

 

何かを感じて、素敵だな、最高だな。と思うと同時に、自分に対して悲観的になる。

生きるのは辛いこと。じゃあなんで、みんな生きているんだろうね。私はわからない。