語彙力を鍛えたい

伝えたいのに伝わらない気持ちのもどかしさ、行き場のない感情を出来るだけ言葉にして反芻して吸収したり昇華したりするための練習

自己防衛も自己否定も必要、だけど

 

ここ数年の私は、メンタルが弱い、自己肯定感が低い、自分のことが嫌いで仕方ない、そういう意識のもとで生きているけれど、心因性の病気にはならない自信がある。そういう自信があるだけで、未来がどうなるかわからないけれど。

 

こういうマインドでいることそのものが自己防衛なのだと思う。自分に期待しないこと。自分を過大評価しないこと。それは、違うと気付いた時の反動が怖いから。そうやってメンタルをコントロールしている。自分の自己肯定感が低いこと、自分のことが嫌いな自分を、好きでいる。矛盾しているけど、きっとそうなんだと思う。

 

 

 

「夜明けのすべて」を読んだ。今まで読んだ中で忘れられない小説が一冊だけあるのだけれど、夜明けのすべても、これに並ぶのだろうなと、読みながらも考えていた。

 

もともと、自分のことが好きでいて、どこにいっても上手く立ち回っていた彼は、これまでの生活のあり方を失って、その振り幅というか、反動を考えると、途端に怖くなって涙が出てしまった。だから、冒頭の私が存在するのだなとも思った。

 

でも、彼が明るくなっていく様子を見ていて、それは、私にとっても希望になったというか、救われるような気持ちになれた。

 

目的を達成するために必要なこと、それが、もしかしたらできるかも、と、うすらぼんやり思っていた。でもやっぱりできなかった。彼はしばし悲観する。でも、じゃあどうすれば目的を達成できるかを考える。彼は、自分にできることと、できないことの切り分けが上手だった。病気のせいにして、悲観して、そこでこの場面が終わってしまうかと思っていたけれど、そんなことはなかった。

 

そもそも、彼がパニック障害だからできないことがあるのではなく、そんな心因性の病気を持っていない私にだってできないことは山ほどある。なんなら私にだって持病はあるし、そのせいでできないことだってある(いや、ほぼないけど)

ただ、そこにばかり目を向けていたって仕方ないのだなと。

できないことに目を向けて悲観して、めそめそして、それで終わっていたのが自分だった。できないこと、嫌いなところ、それはそれとして切り離して、できることを考えてもいいし、でも、逆に、もしかしたらそれが長所に変わることも、あるのかもしれないと思えた。

 

本に出会うちょうど1日前、同僚と寿司を食べた。社会人になってから、歳を重ねるごとの成長とか達成度がまるでないから、誕生日が嫌いだという話をしたら、「きっと真面目なんだよ」と言われた。それが目から鱗だったし、ちょっと、なんていうか嬉しかった。

 

嘘がつけなくて馬鹿正直なところ。すぐに涙が出たり、怒ったりしてしまって、感情の起伏が激しい。そういうのが短所のように感じていたけど、言い方を変えれば、真面目でピュアなんだ。恥ずかしげもなく、自分で言うけど。そういう風にも思えたらいいよね。

 

 

 

 

昔読んだ本も、今日読み終えた「夜明けのすべて」も、当人は気づかないことを、身近な人間にさらっと言い当てられて、それが腑に落ちるような、そんなシーンがあった。そのシーンで、両者ともボロボロと泣いてしまったのだけれど、よくよく考えれば、私はそれを、金曜日のスシローでちょうど体験したみたいだ。

 

 

 

そんなこともあって、なんだかブログを更新したくなった。生理前だから、よく涙が出た。スッキリして、よかった。

映画が公開されたら、いったい何回観にいくのだろうか。私は本当に、北斗さんに人生を救われすぎている。