語彙力を鍛えたい

伝えたいのに伝わらない気持ちのもどかしさ、行き場のない感情を出来るだけ言葉にして反芻して吸収したり昇華したりするための練習

最近思ったことを書き殴ったら全部推しの話だった

最近腑に落ちたこととか思ったことの脈略のないまとめブログです

 

 

1. 自己肯定感の話

なんかの雑誌で、ほくとが自己肯定感の話してて。アイドルの自己肯定感なんて高くてなんぼ!みたいなとこあると思うんだけど、彼はいかんせん、見ててもなんとな〜くわかるほどに、自己肯定感が低くて。

「自己肯定感が低い」のと「アイドル」って、なんか、相反する言葉のようじゃない。人から見られるのに、自分に自信がないなんて。私は推しが何人もいるタイプのヲタクだけど、特に、井上瑞稀さんなんか、すごく自己肯定感高く仕事をしてるなぁと思うし、そういうところが好きだなぁ。とも思うわけ。そういう風に見せてるだけかもしれないし、実際のところはわからないけどね。

 

ただ、ほくりんちょすは、自己肯定感が高くなりたい?と聞かれて、低いからこそ感じ取れることもあると思うから、別に高くなりたくはない。と答えてて、それ見て、なんかマジで涙出そうになっちゃって。

 

このブログ遡ると、自己肯定感が低いことも含めて自分のことが好きだなぁと思う。って、私、書いてる。これを書いてる時は、ぼんやり思ったことを書いただけで、核心には気づいていなかったけど、ほくとのインタビュー見てはっきり気づいた。自己肯定感が低いからこそ、成り立っている自分というものは、やっぱり存在するんだ。

 

世の中は「自己肯定感をあげよう!」みたいな刷り込みで溢れていて、自分だって自己肯定感の低さでしんどい思いをしているような気がしていたから、そんな刷り込みを真に受けて、色々みて、やってみたりもしたんだけど、やっぱり上がらなくて。

いや、上がらなくてというか、一時的に上がるんだけど、自己肯定感の上がっている自分を客観視してしまって、これは違うだろ、調子に乗ってるだろ。と思って、結局、前よりも自己肯定感が下がっているような、そんな感覚があった。

 

そんなことを繰り返しているうちに、だんだん、自分のことを言語化できるようになって、自己肯定感の低さが、ある種「自分らしさ」ってことに、今、やっと辿り着いた。感じがする。推しのおかげで。

 

 

もっと掘り下げていくと、自己肯定感の所在は「自信のなさ」とはまたちょっと違うような気もしていて、それは人それぞれなのかもしれないけど。私の自己肯定感の低さは「人間関係」的なところに帰着すると思ってる。

 

ここから次の話に入るんだけど。笑

 

2. 男性アイドルの推し方の話

私はジャニヲタだし、よりにもよって松村北斗が好きだし、そういう話をすると「イケメンが好きなんだね」と言われてしまうことは確かにあって。

ジャニヲタになったのはなんか、そういうことじゃなくて。でもなんか、うまく言葉にできなくて、その場は、そうかもね〜、とか言って流してしまってたわけ。

 

ただ、自分の自己肯定感の低さが「人間関係」あるいは「男女の関係」的なところに帰着すると思えば、その、言語化できないところに通ずるものがある気がする。

自分がヲタクをしている中で敢えて選ばない行動があって。例えば、自分の見た目を推しの好みに寄せる。推しを「くん」付で呼ぶ。推しの体調不良とか稼働の多さを心配する。とか。

 

かっこいいなと思う瞬間はそりゃ、彼らはジャニーズなんだから大量にあるし、素直にそう思うんだけど、それは「エンタメ」であって、なんていうか、私は彼らを意識的に「人間」として見ないようにしている気がする。いや、もちろん守られるべき人権とか尊厳は絶対にあるんだけど、そういう意味じゃなくて、私と同等じゃないものだと考えている節が、あるような気がするわけ。

 

彼らを「人間」として見ない一方で、自分はというと、これはアイドルに限らずだけど、やっぱり男性を「男性」として見るのは苦手だなぁと思う。それは自分が「女性」にならないといけないから。客観視して、気持ち悪い、これじゃない。と思ってしまう。そしてまた、自己肯定感を下げる。

 

恋愛的な要素は、自分の自己肯定感をより下げるだけなんだと思う。恋愛というか、人が絡むと、客観視しちゃって、凹む。そうでなくても自分に立ち返って考える癖がついてる。

 

男性アイドルの推し方は必ずしも「かっこいい」に帰着するものでないと、私は思っているので。ただ好きな音楽がそこにあっただけ。結構薄情なんだよね、多分、これあんまり好きじゃないな、って曲のリリースが続いたら、離れてると思う。ストだって一瞬、離れかけたし。だから感謝してる。好きでい続けさせてくれてありがとうって、本当に思ってる。

 

 

3. アイドルの個性

ストーンズのこと、本当に好きなんだよね、私。音楽が好きだから好きでい続けられてるのは確かだけど、なんかもう、ここまでくると、存在が好き。何が好きなのか色々考えたんだけど、彼らは「個性の安売り」をしないんだよ。

 

アイドルグループってすぐ「僕たち・私たちはみんな個性があります!」っていうじゃん。あれ大っ嫌いなんだよね。そりゃ個性がないアイドルなんか売り出せねーだろ!と思うし、じゃあいざ個性(特技?)披露とかなったら、意外とクソつまらん事しかやんねーじゃん。愛嬌って何?俺でもできるぞ?

 

でもさ、ストーンズから「俺たちはみんな個性があって」って、聞いた事ない!でも、どこのアイドルよりはるかに面白い。みんななんか変だし。普通に活動してたら「個性」って言いたくなるような集まりだと思う。でも言わないんだよ。

 

田中なんか「何系とかはなくて、俺らは普通のアイドルですよ」とか言っちゃうわけ。しかも、「アイドルですよ、アーティストではないです」とかも、言ってくれちゃうわけ。もうなんか、感動が止まらないよね。

 

アーティスト被れしたアイドルもいるじゃん。わかるよ。私も長いアイドルヲタクの歴史の中で、推しに対してそう思ってる時期はあった。この人たちはアイドルじゃなくてもはやアーティストだ!って。でも、アイドルだから、ジャンルレスにいろんなことができるってことに、ほんと、結構最近になって気づいた。彼らはそこを早くから弁えてるのが凄いし、自分も腑に落ちたし、あ〜だから好きなんだって、再認識させられた。

 

あるべきところにいて、必要なことを与えてくれる。安心感。「個性」とか「アーティスト」なんて言葉に頼らず、自分たちに勢いがあるふりをしない。地に足がついてる感じ。そういうのが、本当に、好きです。

 

 

 

4. 推しの個人仕事をどう受け取るか

ただ、こんなにストーンズのことが好きだと、推しが好きなのか。作品が好きなのか。よく分からなくなることがある。

曲のリリースとかライブみたいな、グループ仕事はわかりやすい。彼らはそれが本業でもあるし、自分の好きなように受け取ればいいって思う。

 

もうすぐ「すずめの戸締まり」が公開するじゃない。あれ、本当に楽しみにしてるんだけど、一体何を、こんなにドキドキしながら待っているのか、自分の中で分からなくなっちゃって。

 

人生で一番感動して泣いた映画が「君の名は。」なんだけど、声優が神木くんとか知らずに、ほんとに、事前情報を何も持たないで観たの。あの時の衝撃のデカさが、なんかもう、一生忘れられなくて。エンドロールが終わっても涙が止まらなくて、人と観に行った映画って、気張っててあんまり泣かなかったりするんだけど、もうなんか、人目も憚らずに超号泣してて、一緒に観た友達に笑われながら帰った。

 

あの感動をまたしたい、のに、私は事前情報を持ち過ぎてしまっている。それはほくとが声優をするからだよね。そもそも、ほくとが声優という時点で、私の感動ポイントがすり替わってしまったらどうしよう。とか。いらぬ心配を、ずっとしている。

 

大好きな新海監督作品に、大好きな推しが出る。切り離して考えたいのに、いろんな情報源にほくとのヲタクが纏わり付いてきて、私もその一部かと思うと震えるほど嫌になる。自分は違うって思いたくても、ほくとのヲタクであることに変わりはないから、端から見たら私も纏わり付いてる一部だよね。わかっているけど、それも悔しくて。

 

好きなものと好きなものが混ざると、こんなに複雑なんだと痛感してる。

 

今、木10で「silent」やってるじゃない。ジャニーズを起用するけど主題歌は担当しないのと、役の雰囲気がすごく目黒くんにあってて、でも目黒要素は(今のところ)なくて、単純にいいなって思う。私は彼は推しじゃないからこの作品はフラットに見れてるけど、それこそ職場の子が「めめかっこいい〜!」とか言ってたから、あれ?ストーリーの真意って伝わってるのかな?って感じちゃった。どっち派?とか聞かれて、いや、まだそういう段階じゃなくない?と思った。私はただ湊斗の優しさに感銘受けて吐くほど泣いているというのに。「吐くほど泣いてるんだけど」って彼女たちに言ったら笑われたしね。

 

昔やってた「レッドアイズ」は、ほくとが出るから見始めたけど、話は普通に面白かった。のに、最終回、小牧くんが持ってるデータのパスワードを伝えるシーンで「0618」って言われて、レッドアイズの世界観に入ってたのが一気に冷めちゃったのとか、超覚えてる。本当になんか、もったいない。そういうのを散りばめていい場面と、そうじゃない場面がある。あの時めっちゃキレてた。内心。笑

 

好きな作品だからこそフラットに見たいし、没入したい。そこに推しがいるとかを感じずに見れたらいいのに。それができるように、心の準備をしている。今。これはほくとじゃないよ〜、と、自分に刷り込みをかけている。

だって!初見って、人生で1回しかないのに!ほくとを感じる瞬間があったら、もったいなすぎるよ。推しの要素は、後から反芻するくらいで丁度いい。でも、椅子があの声で喋ってるの、まじ可愛いんだよな〜。。。はぁ。。。辛い。。。

 

 

 

 

 

ここまで、3890文字、、、日々いろんなこと考えて生きすぎじゃないか?俺。しかもほぼ推しに対してだよね。どれだけ推しを中心に世界が回ってるかを実感する。推しのおかげで気づくこともあれば、推しのせいで悩むこともあるんだよね。

あー、人生って、むず。(結局これなんだよな。。。)