ふとドラマを見てて思ったんだが
人の命が無くなる描写はやっぱり悲しくて
新しい命が生まれる描写はやっぱり嬉しいんだよね
でも、自分自身が生きていくことが本当に難しい
生まれてくることは喜びに
亡くなることは悲しみになるけど
ただ「生きていく」ことが苦痛だったりする
誰かがいろんな思いをしながら、いろんな思いを交錯させながら
生きているんだと思うとやっぱり人生ってよくわからないし
自分が感じるこのモヤモヤした気持ちはきっと寂しさから来ていて
自分が受け入れられないから、新しい命を持つことに違和感があって
だから人を受け入れられなくて、でも寂しいからモヤモヤしていて
誰かに愛されている実感さえあればきっともうちょっと幸せでいられる気がする
これもまた別のドラマを見て考えてたことだけど
「生まれてくる理由は、幸せになるためだと思う」とかいう陳腐なセリフに
改めて考えさせられて。
幸せって何?
幸せと思えないなら、生まれてくる理由がないということになってしまうよ
ドラマ内の描写は、もう命を捨てようと思った彼に家族ができて
自分にそんな幸せがあったなんて。と言うんだけど
私も自分の家庭を持てば感じられる幸せがあるのかもしれないけど
そうして生まれた子どももまた、いろんな思いを交錯させながら
生きていくのだと思うと、やっぱり、自分が家庭を持つということは
できないと思ってしまう。
わからない。いざ、そういう相手がいたら、家庭を持ちたいと思うのかな。
結局、寂しさがこんな自分を生み出しただけだから。
いろんな思いを交錯させて生きてる自分の感情を言語化させたくて
こんなブログを始めたけれど結局、自分語りが上手くなって
余計面倒くさい人間になっているような気もしなくはない。
あ〜めんどくさ。じぶん。