生まれたからには幸せになりたい、と、人は誰しも、そう思いながら生きているに違いない。と私は思う。私だってそうだ。
そんな感情を妨げる、「ネガティブ」な思考。どうにかならないだろうか。
私はどちらかというと、いや、どちらかと言わなくても、誰がどう見ても「ネガティブ」思考なのだと思う。
ツイッターにかじりついていることしかすることがない暇な休日、度々見かける日々の不満ツイートが私の「ネガティブ」を増幅させていく。正直、平日よりも不毛な時間を過ごしている。だから予定のない休日は嫌いなのだ。
自分の生活のネガティブ処理だけで精一杯なのに、なぜ人様の、それもまったく見知らぬ方の「ネガティブ」な気持ちをこちらまで背負わなくてはならないのか。
反面教師として、この人がいやな気持ちになったことを自分はしないように心掛けるきっかけにはなるかもしれない。リツイートする人は、反面教師にする人を増やそうとしてるのか。あるいは自分も同じ経験をして共感したのか。利点があることも、拡散したくなる気持ちも心得ている。
でも、やめてほしい。
私は幸せに生きていきたいだけなのに。
なぜ人の嫌な気持ちを共に背負って生きていかなくてはならないのか。
ツイッターの使い方は、ツイッター上でも議論されていたのを目にしたことがある。あれは誰かと繋がり合えるSNSではなく、ただの「ひとりごと」だと。
それに共感する人が「リツイート」できたり、「いいね」できたりするだけの媒体なのだと。
だから、私がこんなことを言ったって、結局「ひとりごとなんだから自由に呟いていいじゃない」と言われるのがオチなのである。わかっている。嫌ならツイッターやめればいいんです。だから言えない。言えない自分ももどかしい。ネガティブ増幅。本当に死にたい。毎日死にたい。
あーあ、早く人生やめたいな。
私にもこの人みたいな嫌な経験する日が来るんだろうか。
あるいはそれ以上の経験。
嫌だな。何が楽しくて80歳とかまで生きなくちゃいけないんだろう。
今すぐ死んだって何も後悔しないのに。なんで生きてるんだろう。あーあ。
そんなことを考えてると結局生き延びているのは推しがいるおかげなのかもしれない。と本気で考えてしまうな。
明日も推しに会えない休日。死そのものである。