語彙力を鍛えたい

伝えたいのに伝わらない気持ちのもどかしさ、行き場のない感情を出来るだけ言葉にして反芻して吸収したり昇華したりするための練習

傷は痛いほうがいい

つい先日、もう25歳だというのに自転車で転んだ。下り坂で派手に、ずるっと。

 

その場では血が出てない事実にホッと胸をなでおろし、無傷なんて私もまだまだ若いんじゃないか。と、そのまま目的地に向かった。もう若くなんてなかったと悟るのは、用事を済ませて家に着いた頃だった。

 

太ももの内側にみたこともないサイズの青アザと、切り傷と、膝にも青アザ、肘に擦りむいた跡。会社で「どうしたの」と心配される始末。

 

私はいつも傷だらけなのだ。

 

いつも転んでるわけではない。だけど、治っていく傷を見ると、またそこに戻ってきてほしくなってしまう。痛いのに、そこにいてほしい。痛いことが当たり前であってほしいのだ。

 

 

ふと見下ろす私の足。青アザが二つ。まだ治らないことになぜかホッとする。

 

虫刺されの痕。切り傷。もうなんでそこにいるか分からない傷跡。

 

深爪しすぎて裂けてる指の先。血が滲んでもまだ剥がす。伸ばせない爪。不恰好な形。

 

自分で作った口内炎。できた口内炎を噛んで噛んで悪化させる。

 

自傷癖だとかそんなんじゃない。大げさにしたいわけではない。でも、自分が傷だらけであればあるほど、私は安心するのだ。

 

 

生まれつきアトピー性皮膚炎だった。痒いのが当たり前。それを触りすぎて気づいたら血が出てるのも当たり前。幼少期から傷だらけだった。自分の足が汚いことを嫌に思いながら、それでも我慢ができない小学生時代を過ごした。

 

小学校も卒業を間近にして母は言った。

「もう中学生なんだから、痒いのを我慢しなさい」

「いつまでも汚い足でいいの?」

 

お母さん。私は今も汚い足のまま世界を生きてるよ。

他人に迷惑かけてないんだからいいでしょ。私がこの姿を望んでるの。

 

そういって自転車で転んで擦りむいた瘡蓋を、治りかけの証拠を、今日もひとつずつ剥がしていく。ダメだと分かっていながらやめられない。痒いとかそんなんじゃない。衝動に駆られるだけだ。

 

 

気持ち悪いと言われてもしょうがない。

傷だらけの汚い足は、私のアイデンティティだ。