語彙力を鍛えたい

伝えたいのに伝わらない気持ちのもどかしさ、行き場のない感情を出来るだけ言葉にして反芻して吸収したり昇華したりするための練習

全部なかったことにしたい

 

”クラスメイトが将来テレビで私を見てチャンネルを変えたくなるような存在”

今の私、完全にこれになってる。いや別にテレビになんか出ないんだけどさ。それで先のきしょきしょブログを書いてる。

 

 

このブログ、本当に繰り返し同じことを書いているなあと思う。自分には価値がないとか何だとか。でもそんな自分を作ってきたのは自分自身だからね。

 

小学校のクラスメイトたちは今の自分に何を思ってるんだろうか。いじめの主犯格だった子、涼しい顔して加担してた子、寝返った子、悪口だらけの交換日記、全部、どうやって昇華したんだろう。

 

なんなら、いじめの主犯格だった彼女たちは明るかったから、先生にも気に入られてて、そんな先生たちは、どうやって当時から自分たちのことを正当化してたんだろう。いや、そもそもしてなかったのかも。

 

私は永遠にあの時間を消化できないでいる気がする。いじめに加担もしたし、いじめられもしたし、よくわからない空気を読んで、でも読みきれなくて、よくわからない発言もして自己嫌悪になって、そんなグループにいる意味がやっとわからなくなったのが、高校を卒業したあたり。

 

地元だから親経由で話を聞いたりもする。結婚しただの、子供が生まれただの、仕事頑張ってるだの。そんな話を聞いたとて。

 

 

学校というコミュニティのなかで上手く生き残るために、ない知恵をいっぱい絞って、当時からやりたくないことたくさんやってきたね。あの時間、何だったんだろうね。というか、学校って場所は、一体何だったんだろうね。

 

 

高校生の時、一瞬だけ、体育の先生になろうかと思ったことがある。もともと甘々採点の学科だったけど、体育の成績だけ3で、あとの教科は5だった私が。

 

先生って弱者の気持ちがわからないとダメじゃない?って思ったんだよ。

 

いじめっ子に加担するだとか。体育のできない私を馬鹿にしたりだとか。そういうのが往々にしてある縮図なんじゃないかと思った。

 

今となっては色々と思うことがある。それは大人になったから。でも言い返す術もタイミングもない。私の持病を教材にするな!とか、色々言ってやりたい。

 

そしてそんな”色々”の重なった私が、私自身にとって「嫌な思い出」の一部になってしまっている。

子供の頃の出来事をたまに親から聞かされて、私はそれを全部覚えてないふりするけど、実際は全部覚えていて、いろんなことを蒸し返したくないから忘れたことにしてたりするしね。

 

悲しくなってきた。やっぱり自分の人生って、一体なんなんだろう。