語彙力を鍛えたい

伝えたいのに伝わらない気持ちのもどかしさ、行き場のない感情を出来るだけ言葉にして反芻して吸収したり昇華したりするための練習

題:遺命

 

韻踏みながら意味の通る詞を作る人ほんとにすごい。

やりたくなったから書いてみた(はい?)

 

イメージする自分、遺命とは程遠い気分

できないと謙遜する身分

言い分はそれだけか?

 

ここで限界がきた。

 

自分の名前が、一応伏せるけどなんか、「こうしなさい!」みたいな響きなの

皮肉で「そうはしないぜ!」という生き方をしていたらかっこよかったなとおもって、調べて出てきたのが「遺命」←かっこいいじゃん。これからの人生のテーマにしようかな。(アラサーでダサい決意すんな)

 

 

最近好きな曲のワンフレーズがすごい好きなの。

韻の踏み方と、言葉そのものが。

「焦燥抱いて競争?よしましょうさようなら」

なんでこんなフレーズ思いつくんだろう凄すぎる

 

 

 

なんか、ずっと音楽と生きてきたなぁと思うわけ。

小さい頃、アニメとかより音楽番組の録画ばっかり見てたし、夢は「歌手」になることだった。結構長い間、中学生くらいまでそう思ってた。

いや、今でも、なれるならなりたい。だから未練でこんなブログを書いている気がする。

 

小学校の頃は合唱団に入った。中高は吹奏楽をしてた。

今思うと、ステージに立って音楽をできる機会というのは本当に有り難い機会だったように思う。自分が音楽をやれているという安心感があって。

大学に入ってアカサーに入りたかったんだけど、受験失敗して、あ〜自分はもうステージには立てないんだ。って自覚した、高校の最後の春休みのアカサーのライブ。あれ、結構辛かったな。今でもたまに思い出す。

 

 

小学生の頃よく、ポエム書いてたな〜

好きなフレーズに感銘を受けて、自分も詞を書いてた

黒歴史に近いけど、今も結局、やってることは変わらないわけで。。。

 

 

なんでやらなかったんだろう。って思うことはたくさんある。

じゃあ今やれば。今がこの先の人生でいちばん若いんだからという説も、重々承知している。

でも、今更やれない。結局「遺命」とは程遠いんだよ。自分は。

こう行けと言われたら、そう行くんだよ。自分を甘やかして生きてきたし。

 

ただ、自分は何者にもなれなかったんだな。という事実だけが、ずっと重くのしかかっていて。

もっと音楽を好きになりたかったし、自分も音楽に愛されたかったなと、いろんなコンテンツを見て、思う日々。

 

 

フィギュアの時もだけど、いい音楽を真に受けて、凹むのをやめたい。

また、ポエムを書きにきます。見返して恥をかきたいと思います。

生きてるだけで偉いマインドの謎

 

最近さ、「生きてるだけで偉い」というマインドが横行してると思わない?

アイドルは特にヲタクに対してよく「今日も生きてて偉いね」とか」とか言うわけ。

私はそれを受けて感動してたんだけどさ。

 

 

よくよく考えると、私自身も推しがいなかったらこの世には絶望とか不安しかなくてきっとすでに死んでるんだろうなって思うんだよ。だから「生きてるだけで偉い」と言うマインドで甘やかして、推しの活動と好きな音楽に命をつなげてもらって、なんとか生き延びている。死ぬのは怖いし、死ぬほどの絶望や不幸があるわけでもないんだけれど。ただ、向上心とか成長とか、そういうのはクソ喰らえと思って生きている。

 

 

生まれてきたことが最大の不幸で。クソみたいな社会を生き抜いていくだけでも大変なのに、心を揺さぶるような強い出来事は必要ない。ただ穏やかに、平穏に、何事もなく、人生を終えたい。私に関わって無駄な時間を過ごす人、不幸になる人を増やしたくない。私の配偶者になる人も可哀想。私から生まれてくる子も可哀想。私みたいなのが生まれてきた親ですら、可哀想。

 

 

 

こんなこと思ってるのってもしかしてヲタクだけなのかな?

 

ヲタクって、それほど強く何かを好きでいる人って、そうでもしなきゃ生きられな位のかなぁ。と。ふと思った。

私はアイドルがいう「生きてて偉いね」に感動していたんだけど、生きてて偉いというマインドは、アイドルとかそういう、自分が好きでいれば絶対にブレないであろう偶像的なものに ”縋らないと生きていけない人” のために生み出された言葉なんじゃ?

 

 

ずっと不思議だった。なぜ、アイドルなんかは往々にして「生きてて偉いね」とかいってくるくせに、そんな「生きてるだけで偉い」と言われるような世界線で子どもを持ちたがるのか?

 

なんでこの、生きてるだけで金が掛かる、年を取れば取るほど疎ましがられるこの世界で、人は命を生むのか?自分が生きてて辛い世界を、誰かにも与えようとするのか?

 

アイドルだけが言ってるわけじゃないにしても。このマインドは、全人類が持ってるものじゃないんだ。そっか。私は一生、わからないままだなぁ。子どもを持ちたくない人の割合が少なくて、いつもビックリしてしまう。

 

 

 

 

友達が惰性で「結婚したほうがいいのかなぁ」とか言い出したから、止めておいた。まぁ人には人の事情もあるし知らんけど。。。

ところで、私が思ってることを人に話すことはないにしても、こんな話が永遠に積もっていくこのブログを、突然死でもして親に見られたら、さてどうしようかな。

若くはないけど死ぬには早すぎる

私やっぱり音楽とかエンターテイメントがない世界では生きられないな

心を動かされるこの時間が人生でいちばん好き。というか、この時間があるから生きてるように思える。

 

アイドルが好き・顔がいいから好きとかそんなんじゃなくて、

非現実的な世界とか、キラキラしたもの、もやもやを晴らしてくれるような心を掴まれる音色、そういうのが好き

 

 

 

ジャニーズの舞台を初めて生で見て、その演出の凄さに度肝を抜かれた。

長年に続く伝統・歴史に、自分が応援している人が名前を連ねることも事も含めて嬉しくて感動して涙が出た。

 

 

ハロプロを心底応援してた時も思っていたけど、アイドルたちが続いていく「歴史」とか「バトン」みたいなものに弱いかもしれない。

 

話を戻してジャニーズの舞台だけど、あの華やかな舞台装置と派手な演出、それに対応できる演者、全部揃ってるのがやっぱりあの歴史ある事務所のすごいところだよね。

有無を言わさず皆がジャニーさんに付いていく意味が分かった気がした。あのエンタメを生み出したジャニーさんはすごい。

 

 

生で音を感じ、声を感じ、舞台上で生きているその人を感じてめちゃめちゃ涙が出た。本当に楽しい時間だった。これを書いている今も、涙が出そう。

 

 

 

 

 

私はいろんなことから「自分にはできない」と諦めの烙印を押して逃げてきたけど、やっぱりこの「音楽」とか「エンタメ」がやりたいんだろうな。ずっと。

 

生きていることが嫌で辛くて早く終わりたい人生の中で唯一楽しさとか安らぎを見出せる場所がここだった。推しがいなかったら死んでいるけど、私にとっての推しは彼ら・彼女らでもあり、彼らが生み出しているエンターテイメントでもある。

 

 

本当は今おかれている場所で地に足つけて仕事を頑張るべき。でもチャンスは2度はない。やりたいならやればいい。

 

どうせまだ死ねない人生だ。やりたいことやったって時間は有り余ってるし、歳を取って世間の目が厳しくなったってそれは他人の尺度に過ぎない。むしろ死にたいくらいの気持ちなら、逆に失うものなんてないだろ。

 

 

 

本当は今日、舞台を見て、私にはできない。って改めて思ったんだ。

自分はこんなエンターテイメントの世界で誰かを勇気付けるような存在にはなれないって。

でもそれでもいいから、やってみたいからやる。でいいじゃん。

まずは、私が、私に、勇気付けられるようになったらいいな。ネガティブばっかりの毎日だから。

 

 

頑張らなくてもいいけど、やりたいならやる!それだけ。

若くはないけど死ぬには早すぎる。人生を楽しめ!

代替不可であれ

 

どれだけ気が滅入っていても好きなものがたくさんあるから自分は大丈夫だと思って生きてきたが、なんか様子がおかしい

 

夢の中と書いて「夢中」と読むじゃない

 

もうその感覚は味わえないんだなぁと過ぎる瞬間が多すぎて、やけに自分が冷静で、どこか冷めていて、でも好きな気持ちはあって、でも何が好きなのかを突き詰めたら大したことないんじゃないかと思っていて、好きだからこそ消費したくない気持ちもあって、この気持ちをどこにぶつけたらいいのかわからなくなって、深夜に曲を聴いて号泣している。訳がわからない。

 

SixTONES – フィギュア [YouTube Ver.] - YouTube

 

 

 

自分は同担拒否なのかもしれないと昔思ったことがある。近しい気持ちに今なっている気がする。

 

自分が好きなものを自分より好きな人が現れたら圧倒されてしまって引いてしまうような。自分が好きであることだけが正義だから、「あ、自分の好きはさほど大したことなかったんだ」ということに気づかされてしまうというか、比べて凹んでしまう。

 

なんで同じ熱量に持っていけないかというと、私は彼らを消費したくないから。外見だけ褒めたくない。もっと根底から褒めたい。でもバックグラウンドから褒めるのも曲の当て書きを助長しているみたいで気持ち悪い。曲だけ褒めるのはそれこそ「消費」しているようで嫌だ。答えが出なくて、何を褒めたらいいんだろう、とグルグルしている間に、他のヲタクが絶賛しているツイートで世界は埋め尽くされて、別に私が口を出さなくても彼らはいろんな形で賞賛されていて、それをみて私は「消費したくない」とまた感じてしまって。複雑すぎる。

 

 

自分は何も生み出さないから無力だ。

彼らは消費されることをなんとも思っていないだろうし、むしろそうされることで消費者側の人生を豊かにしようとか、出会ってくれる人を助けたいとか、そんな壮大なことを考えているわけで、本当に、私たちは無力でしかない。

声を上げて何かにノミネートされるようなことがあっても組織票とか言われ、この事務所に対する世間の風当たりは強い。かつては私も苦手意識があった。払拭するのは大変だと思う。

 

 

何もできない。

したくない「消費」しかできない。

消費することがむしろ彼らのためになるのだというのなら。

 

いや、でも。

 

 

 

 

 

一度ヲタクの道をバーンアウトしたら、戻ってくるのは結構大変なのかもしれない。

消費する。という意味を知ってしまっているから。同じことを繰り返すのは結構しんどい。

 

 

でも「好きなものがたくさんあるから自分は大丈夫だと思って生きてきた」この人生から、「夢中になるほどに好き」がひとつもなくなってしまった感覚が今、本当に怖くて仕方がない。しんでしまうんじゃないかと思ってしまう。

いつしんでもいいと思っているのに。きっと余生になるのが嫌なんだ。

 

結局何かを消費して縋り付いていないとダメなんだ。

弱くて脆くて嫌になる。

 

 

 

 

私が消費したモノも、これから消費してしまうであろうモノも、どれだけ消費され尽くされたってその世界で生きている。目に触れなくても生き続けている。あるべきところで咲いている。

 

私はそのことにもっと感謝する。とにかく感謝する。

消費できることに感謝。ありがとう。

複雑でごめん。

 

 

 

 

 

 

そんなうまくいくもんじゃない
でも人生ゲームやめれない
手のひら返しなんていらないし
今更どの面下げて歩いてんの


呑気にお気楽 お気の毒様
まだまだ世の中 こんな薄情?
ラジオノイズ 降りるチョイス
途切れ途切れタクシー


シーサイドだらだら走ってる
生まれ変わりを未だ信じてる
催眠術花占いみたいに一枚一枚
散る夢の色 無理にでも
塗って 息を切らしている


裏切らないものを
僕らずっと探して生きている
だらしない自分に
終点を見ている

 

たおやかに番を待つ
僕らずっとこらえて生きている
隠してた心はもう見つからないな


裏切らないものを
僕らずっと探して生きている
正しくあればいい
後悔のない生き方で進もう


いつも振り返る度うなだれる
その足跡を消す度
どこかへ行こう、そのための花束を


ショーウィンドウに並ぶ僕ら
代替不可であれよフィギュア
あるがままで

 

いい歌だなぁ。

やる気ない

 

何にイライラしていて、何にモヤモヤしていて、なんでこんなに無気力なのか、よくわからないけど前向きに元気になれない日が続いていて、続けば続くほど、なんで自分ってこうなんだろう。と負のループになっている

 

ただでさえ気が滅入っているのに、目に入るコラムとか見る舞台のセリフに腹立ててる

 

結婚せず子供も産まず孤独死した叔母に「一人で気ままにやってたから最期にバチが当たった」なんて父に言われて腹たった。みたいな書き出しの漫画然り、

「可能性って広がっていく一方で閉じていってもいるんだよね」ってセリフ然り、

生まれてきた我が子を見て「自分のこれまでの人生を肯定されたような気持ちになった」とか書かれている記事然り、

 

 

 

 

 

 

なに?

生まれてきた瞬間から不幸としか思えない。

 

 

私たちは閉じていく可能性でいろんなことを諦めながら

悲しい気持ちも辛い気持ちもたくさん抱えながら生きていくのに

それでも「生きている」ことを美化しすぎているこの世界が気持ち悪い。

どうせ死ぬのに。

 

生まれてきた子供は、その子がまた自分の子を持つまで自分の人生を肯定できないとでもいうのか?子供を持てない人は?持ちたくないと思う人は一生人生を肯定できないじゃないか。

 

私から生まれてくる子供も、私の遺伝子を持って生まれてくる子が我が子になる旦那も、この先もし、存在するとしたら可哀想でならない。こんなに生きづらい世界にわざわざ生み落す必要なんてない。私がこんなに生きづらいんだから、そうとしか思えない。

 

 

一人で自由に生きてきたから孤独死というバチが当たる?子供がいたら孤独死しないとでも?子供は孤独死を避けるための、後始末の道具か?

 

結局、子供を持つということは、親のエゴでしかない。

自分の人生を肯定したいから子供を持つんだとしたら、完全に親のエゴ。親の道具。自分の自尊心、豊かな人生を埋める道具のように思えてならない。

 

そのくせ親はたまに「産んでやったのに」とか「育ててやったのに」みたいなことを言う。しらん。頼んでない。

 

 

 

私は自分の後始末のための道具も自分の人生を肯定するための道具もいらない。新たな犠牲を生む必要なんてない。

 

色々調べてたらHSPって特質?を知って、セルフチェックしたら死ぬほど当てはまってた。こうやってモヤモヤすることに名前がついていること、気持ち的に楽になったけど、だからこそ余計に、生まれてきた瞬間から不幸なんだな〜と思えてしまう。

 

 

HSPの親から生まれたHSCなんて、本当に可哀想。永遠に理解されない辛い気持ちを抱えて、そこまでして頑張って生きていかなくて良くないか?

 

安楽死で一回検索したことがある。孤独死を「バチ」だとか言うなら、安楽死くらい認めれくれたらいいのに。誰にも悲しまれなくていいからさ。

 

もう頑張って生きなくていいって誰か言ってくれないかな。

 

なんかよくわからんけど、中〜高校生の時、誕生日の時に「無事〇〇才になれました!」って言いかたしてたな。みんな。無事って何?何が無事なの?

もう学生で無くなった今、無駄に歳だけ重ねて、価値だけ無くなっていって、永遠に死ねない。誰かに望まれて生まれてきたはずなのに誰にも相手にされなくなって、生きてるだけで金がかかって、本当に地獄。

 

 

アリアナが日本のバラエティに出て芸人の容姿いじりにガチドン引きしてたことも

最近の意味わからんコロナ禍のオリンピック論争も

LGBTQへの意識の低さも

日本が置いていかれている価値観、モヤモヤする昭和的思考、そう言うの取っ払ってもっと自由だったら、私もポジティブになれたのかな。わからないけど。

 

 

 

 

 

生きづらいと思う人がどうやって生きてるか教えて欲しい。

私はもう、本当に嫌になりそう。早く捨てたい。早く人生やめたい。本当にお疲れ、って、よく頑張った。って、思うんだけどな。世間的にはまだ、若いのか。もういいのにな。生まれてきた瞬間から不幸なのによく、26年も。

 

 

 

どうでもいいな。どうでもいい。本当に、何もかもがどうでもいい。

仕事にやる気がないのではなく、人生にやる気がないので。すみません。

浮かんでは消えていくアレコレの話

寝る前とか、仕事中にも、いろんなことが浮かんでは消え、消えては浮かびを繰り返し、一向に安定しない相変わらずの激弱メンタルを持て余している今日この頃。吐き出しておかないとダメだな〜と思いながら溜め込んでしまった。もう瀕死メンタル。なんでこうなんだろうな。

 

まとまってないけど最近思ってること(と言うか浮かんでは消えていくこと)の雑なまとめ。

 

 

1.  人生やり直す方がしんどい

って思ったんですよね。ふと。私はもう人生はこりごり。生まれ変わったら可愛い系イケメンになってジャニーズに入りたいけど、でもそれは今の人生への当てつけと言うか、更々生まれ変わる気なんぞない。もうこの魂の人生は充分謳歌した。早く終えたいほどに。

人格形成やら思春期を乗り越えなきゃいけない小学校〜高校がもしかして人生で一番辛いのでは?と感じてしまった。

今はもう大人だから、自分の判断で嫌なことから逃げられるし。別にそんなに努力しなくたってなんとなく生きていける。でも子供ってさ、閉鎖的な世界の中でいろんな縛りを受けながら、逃げ道もなく、まだ感情も十分じゃないから傷つけあったりして。わたしの今のメンタルなら小学校になんて戻れない気がする。逆に無知で無垢なあの頃が一番メンタル的には強かったのかもしれない。中学生の頃はひたすら病んでたけど、それでも今より強かったような気がする。何かにちゃんと立ち向かってた。夢もあった。

やり直す人生があるなら、捨てる人生もあっていいよね。もう充分。本当に、よく生きた。27年。お疲れ。(倍生きても50半ばか、、、)

 

 

2. その悪口は自分に返ってくる?

私は結婚願望も彼氏が欲しい願望もあんまりないけど、でも、そういう相手がいない自分をやっぱり悲観的に思ってる節があって、その両極端な思考の中でずっとモヤモヤしたりしてるんだけど、歳をとればとるほど、そういう相手がいない自分を卑下しちゃうのかな。

シェアハウスは社会の縮図で、家賃相場的にも30代半ばの独身の男女が多く集うから、こうはなりたくないと感じてしまうこともある。話していると、誰々さんをよく思わないとか、そういう話も聞く。私は性格が悪いので、よくないと思いつつ話題提供してしまったりして。

 

でもそこで話してる内容はさ、なんか、明日の我が身だよね。

30代半ばの女性が共有リビングでぼーっと、構ってほしそうに待ってる。それを揶揄して笑ってる人たち。私は冒頭の両極端な考えに右往左往して結局なにを考えてるのかよくわからないというか、歳を重ねたらそうなりそうだなぁ。と思わんこともない。

別に人に嫌われようがなにしようが良いと思ってるんだけど、自分の耳に入ったら凹むし悲しいよね。ほどほどにしなきゃなぁ。と思いつつ、結局、小学生の頃から人の悪口がいちばん盛り上がるのよね。人間。本当にバカだなぁ。

 

 

 

3. 自分に自信を持った方がいい?

あまりにも自己肯定感がないので、シェアハウスの人が私のことを「褒める会」をやろうとか言い出して笑った。笑 いじってくれるだけでも周りの人は優しいよね。笑

私は恋愛面に関しては自信がないというか、性別という尺度で自分を客観視すると途端にモチベーションが下がる。かわいいを目指す自分が想像できないというか、気持ち悪いというか、、、嫌悪感があって、でもたまにチャレンジしてみる日もあって、結局嫌悪感に負けて帰りたい一日を過ごしたりとか。

そういう日常を送っているうち、髪を短くして、メンズ服ばかり買うようになって、ピアスをたくさん開けて、「女の子らしい」とか「可愛らしい」とか、そういう尺度ではない方向で、好きな自分像を見つけた。自分が好きだと思う服、似合うと思える服を着てると、モチベは上がる。楽しい。鏡を見て「いいね!」って思える。そんな自分は結構好きでいられる。

自信がないとか自己肯定感が〜とか言われるけど、私は人に言われるほど自信がない、わけじゃない気がしてきた。

自分の書く文章とか、カラオケ音源とか、自分が生み出したものは結構好きで、自分で繰り返し見ちゃったりするし、服のセンスとか文章のセンスとか持ち物のセンスとか、資料作成のセンスとか、結構案外、自分のこと好きだと思う。

周りが言うのは「恋愛面」と言うか、「女性」として、の自己肯定感。なんだろうけどね。でもそんなものに縛られなくても、「対ヒト」として楽しく過ごせたらいいのにな。それだけでいいのにな。と思っちゃったり。?

 

なぜ人は恋愛に絡めたがるのだろうか。笑

性別に違和感があるわけではないけど、女に生まれてきたのは間違いだったかなぁ。と思わんこともない。まぁ男なら余計に苦労しそうなタイプかw

性別という尺度が邪魔だなぁと思う瞬間が、この多様化する世界の中では本当に多いなと感じているところです。LGBTQはここに該当しない人でも感じる場面があるのかもね。

 

 

 

さ〜寝よ寝よ。

12時までに書き切れた!天才だ!

普通にいつも通り病んでる日

自分のメンタルが激弱すぎて本当に生きているだけで偉いと思っている。最近。

生理前なんだろうと思うけど本当に情緒ひどい。ちょっとした一言で感情爆発するしその先に待っているのは「死にたい」気持ち。こんな気持ちばっかり味わいながらなんで生きてるんだろう。と、いつも考えてしまう。

 

人生は楽しいことだけじゃないのはわかってる。努力してそのさきに手に入れたものの嬉しさとか、自己実現、どうやって生きた価値を見出すか。色々あるよね。でもさ、それって全部わざわざ経験しなくても良くない?だってどうせ数十年経てば私たちは死ぬよ?

 

死に向かって生まれてきただけなのに、生まれた瞬間からたどり着くゴールは死なのに、なんで苦しい思いや悲しい思いをその中に含ませていかないといけない?どうせ死ぬのに。

 

過去を振り返って思い出すのは、圧倒的に辛かったこととか悲しかったこととか、恥ずかしかったこととか。忘れたいことほど記憶には鮮明に残るし、あの時こうすれば。とか、たらればも一生やめられない。時間が戻るわけないのに、あの時こう言えば、とか、なんか気づいたら一生考えてる。不毛な時間すぎて泣ける。

 

生まれてきてしまった以上は寿命を全うしないといけない。まだ20代半ばだし、いやでもあと数十年生きていかないといけない。(不謹慎だけど電車乗ってる時とか歩いてる時とか、なんか不慮の事故に合って即死できないかとかは毎日考えてるけどね。)寿命を全うするけど、それもなんか、仕方なく。だよね。

 

最近は「仕方なく」から脱却して、たられば辞めるのを意識して、”私は35歳から戻ってきて今を生きてる。20代のうちにやっておいたほうがいいことをやろう。” という意識で過ごしてみた。それでジムに通い始めたり食事気を付けたりしてるんだけど、全く変化ないし。それを知ってる周りもなんか、全然変わらない私をみて微妙な反応してるし。辛い。それで結局自己嫌悪になったりして、本当に、35際から戻ってきた人生に全然意味がない。むしろもう80歳くらいに飛ばしてほしい。

 

 

 

私みたいな思考に名前がついてることを知った。「反出生主義」って言うんだって。

 

 

 

私は自分が一番大事だから。自分のメンタルに変動を起こさないことがモットーだから。嫌なことからは目を背けてハッピーに過ごしたいだけ。

ただ、やっぱり対人関係は、簡単ではなくて、周りの環境がそうさせてくれないこともあるって感じるけど、それは自分の受け取り方が過剰なだけで。そんな自分が嫌になって、やっぱり自己嫌悪。

自分のメンタル保持を全て推しメンに預けてるので変動は本当に少なくなっているように感じるけど、人と関わらないで生きていくことだけは困難。そこは自分の内側に立ち返る瞬間になって、最初は相手にムカついたり嫌な気持ちになったりしてるけど、何が嫌なのかを言語化して冷静になって考えるとやっぱり過剰に受け取ってるような気がして、そんな自分のことが嫌いで仕方なくなる。

 

あ〜生きづらい。

本当になんで生まれてきちゃったんだろ。

 

生まれてきたこと自体が間違いだと思うけど、親に申し訳ないから、寿命は全うする。それは本当にそう。でも、自分が子供を残すことは、やっぱり全然考えられない。反出生主義が頭の中から消える日はくるかな?

 

結婚して子供を持つことだけが「幸せ」ではないと、多様化が進む時代ではいろんな幸せの形があると人は言うけど、それでもやっぱり「結婚して子供を持つこと」が「普通の幸せ」と言う価値観は往往にして残ってるような感覚があって。その空気感に呑まれると、普通に辛い。同調圧力?一回飲み会で離席して泣いたことあるもんねw(きつい)

 

 

この土日、なんか嫌なことが色々重なって(あと生理前)病んでたらあっという間に時間が溶けたので、無駄な2日間を過ごしてしまったことだけは無念。有給なし月間の貴重な休日なのに。。。まじで該当者2名ワシのメンタル返してくれ。

 

このまま今週いっぱいくらいは、なんか人に優しくできなそうなので引きこもりウィークはじめます