語彙力を鍛えたい

伝えたいのに伝わらない気持ちのもどかしさ、行き場のない感情を出来るだけ言葉にして反芻して吸収したり昇華したりするための練習

「ロマンスドール」を見た

何の巡り合わせかわからないけれど、ツイッターから「ロマンスドール」という映画のプロモーションが流れてきた。見た瞬間「これ見ないとダメだ」と直感で悟った。内容もわからないのに。

 

でも私のこういうパッケージを見たときの直感でよく当たる。小説をパケ買いする人あんまりいないと思う。結果、見てよかった。まじで。この感想ブログは全然上手く書けなかったけど、本当に「よかった」と思った時の語彙力の低下はヲタクが一番知ってる。だから本当に「よかった」んだと思う。言い訳?

 

時間の関係でレイトショーにした。渋谷でレイトショーを見てる田舎者の自分の状況をおもしろおかしく感じながら、アイスティーを飲み上映を待った。空席8割の小さいシアターが妙に心地よかった。

 

題材さえ知らないもんだから、「こんなテーマなの?」と思ったのが第一印象。

 

嘘をついて美術モデルの園子と仕事をすることになった鉄雄は、園子に一目惚れをし、あれよあれよと言う間に結婚。でもついた嘘は覆すことができなくて、結婚してからも偽りの生活が続いた。

偽っている自分を隠すために、園子のことが見えてなかった。自分に必死だった。偽っている仕事が上手くいかないもんだからなおさら。そんな時に園子に付かれた嘘。間違いを犯した、1度だけ。

 

完璧ではない主人公の鉄雄が愛らしく苦しい。不器用な人なのだと、劇中で何度もセリフが出てくる。不器用だからこそ、責められた時、素直に謝ることができる。

 

嘘で固めていた、間違いを犯した夫婦が、あんな風にしてさらけ合って仲直りできたらどんなにいいか。と、告白のシーンを見ながら考えていた。何年も付いてきた嘘を、こんなきっかけで話しても咎めない。相手の幸せを考えて身を引こうとした。鉄雄は不器用な人だけど、園子も不器用なのだろうか。不器用な人は優しいのかな。

 

 

いろんなことを考えた。もし結婚して、相手がすぐに病気になってしまったら?逆に、私が病気になったら?子どもを産めなくなったら?子どもを残して相手がいなくなってしまったら?

 

いろんな感情を抱えながら見てしまった。アラサーの宿命だろうか。それとも去年の結婚ラッシュの影響か?兎にも角にも、もしどちらか選べと言われたら、私は、病気になりたい。相手に残されたら、とてもじゃないけど前を向けないような気がする。

 

この話は、そんな残された彼が主人公だ。どうやって前を向いていくのか。前を向けるのか。不器用な彼が、この映画の終幕までに、前を向いて立っているのか。

 

答えはYesだった。彼は前を向いて、彼女を思いながら、地に足つけて立っていた。最後のセリフは忘れられない。

「スケベで、いい奥さんだったな」なんだそれ。なんだそれ!なのに、なぜか涙が止まらなかった。

 

 

 

 

 

目一杯愛して、愛したからこそ作り上げた、彼女の偶像。私には見れないくらい酷だった、あの描写は辛かった。怖かった。悲しかった。ひとりぼっちになったような、そんな気になった。だけど、彼女が「スケベ」じゃなかったらできなかった偶像。結局、この怖くて悲しくて酷な偶像が、二人の愛の証になるんだろう。

残される者に自分を作らせた、残されざるもの。残されないとわかったら、生きた証が欲しいと思うのは、それは私も分かる。あの偶像は、彼女が生きた証であり、二人の愛の証。

 

 

 

お互いを信じあい、愛し抜けるような、そんな恋愛をしたい。私にできるだろうか。涙が出るほど愛せるような、そんな体験。…人を好きになりたいなぁ。

 

普通に恋愛して、結婚して、子ども産んで、、、そんな未来すら想像できないでいる私の、恋愛観とか結婚観とか、まだまだ迷子だけど、なんていうか、夫婦って、いいな。と思える、そんな作品でした。

 

 

追試:高橋一生の声が好きすぎる件をあんまり共感してもらえない件